「麻氐良神社はアマテラス」…卑弥呼は天照大神を拝んでいた…

寺岡内科医院 院長の元気塾202601お正月といえば初詣です。「一生に一度はお伊勢参り」が江戸時代の日本人のあこがれでした。伊勢神宮は皇室のご先祖である天照大神を祭るとされる日本最高位の神社です。正式名称は「神宮」だけであり、そのシンプルさゆえに権威が伝わってくるというものです。お参りしてもその厳かさはたとえようもありません。900年前にも西行法師は「何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」と詠みました。初詣でにこれほど素晴らしい神社はないように思えます。車で行くと、広大な県営駐車場に導かれて、そこからバスで15分以上走ってようやく大鳥居前にたどり着くことになります。その荘厳さもさることながら、赤福餅屋からはじまるおかげ横丁の賑わいはただ事ではありません。さすがは伊勢神宮です。

ところでこの「神宮」は最初からここ伊勢にあったのではありません。天照大神が最初に祭られていたのは奈良県桜井市の三輪山麓にあったとされる第10代崇神天皇の宮中でした。(この辺は歴史の宝庫で、3世紀ころの初期大和政権跡といわれる纏向遺跡があります。)天照大神と国の神が同居するので祟りがあるという理由で宮中から出され、11代垂仁天皇の娘の倭姫にともなわれて宮津の籠神社、福知山の皇太神社など、元伊勢神社といわれるいくつかの故地を転々とされ、最終的に伊勢の地に鎮座されたと日本書紀は伝えています。

三輪山登拝口今も三輪山には日本最古といわれる大神(みわ)神社があり、周辺の古謡では「三輪山の神と伊勢の神は同じ」と唄われていて、大神神社が祭るのは「大物主」で蛇神ですから、倭姫との関係からひょっとすると天照大神は「大物主」であり男性なのでは?と思ったりします。大神神社は酒と薬の総本宮でもあり、全国の蔵元につるされている杉玉は大神神社のものですし、門前には「三諸杉」という美味しい酒もあります。境内には大きな薬剤メーカーのお供え石がズラッと並びます。今上天皇から下賜された奉幣が社殿の前で輝いています。それほどこの神社は皇室からの崇敬が厚い所なのです。

日本神話にも登場する最高格の神社ということでぜひ訪れてみていただきたい神社です。では三輪山の天照大神は最初からここにおられたのかというと、そうではなさそうです。初代神武天皇が九州から攻め上って大和に都を置いたことになっていますから、当然天照大神も九州から来られたことになります。さて九州はどこにおられたのかという疑問が生まれます。

つい最近私は「邪馬台国はどこにあったのか」という50年来の疑問にその答えを見出しました。福岡県朝倉市の郷土史家、井上悦文氏の{邪馬台国の謎}という本が教えてくれたのです。朝倉市は久留米市の隣町で邪馬台国九州説の中でも非常に可能性の高い所です。この時代の矢じりや銅鏡、銅剣の出土数の圧倒的な多さ、朝倉市と奈良県桜井市周辺の地名の奇跡的な類似性などが理由です。ここの「山田地区」の「麻氐良山」という小高い山の上に「麻氐良布神社」という古いお社がありますが、ここが今回の焦点となります。今は「マテラ神社」と読まれますが、「麻」と「布」に問題があります。

まず地元の人は「麻」をアマと読みます。次に「布」ですが、読まれず無音となっています。これが「須」と入れ替わる場合もあるそうで、「布」と「須」は草書体で書くと区別できないそうです。仮に草書体で書かれた歴史書のなかで「布」と「須」が誤写されたと考えると「麻氐良布神社」は「アマテラス神社」と読めてしまうのです。「山田」を含めると「ヤマトのアマテラス神社」と読めそうです。もしここに邪馬台国があったとしたら女王「卑弥呼」は「日の巫女」ですから、お山に向かってお祭りする神は「アマテラスオオミカミ」、お山は「アマテラス山」ということになります。うれしいことに現代の私たちも「卑弥呼」と同じ作法で大神神社にお参りしていることになります。

お正月には皆様ご家族の健康、お家の繁栄を願って初詣されることだろうと思いますが、このような古い神社で古い歴史に触れてみられるのも心深いことだろうと思います。

お参りの後には必ずこころが涼やかになり、日本人に生まれたことの感謝の気持ちが湧き出てくるものです。

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ここ朝倉は天皇家が特に重んじていた歴史があります。唐・新羅の連合軍と中大兄皇子(後の天智天皇)率いる大和・百済連合軍が戦った「白村江の戦い」という国際戦争がありましたが、はるばる九州まで母親の斉明天皇を「朝倉の宮」へ連れてゆき、「朝倉の社」で戦勝祈願をされました。ほどなく斉明天皇は「朝倉の宮」で亡くなったことが日本書紀に書かれています。ご先祖への必死のお願いであったに違いありません。