浦島太郎はなぜあんなに有名?実は深い話が…。
先日、丹後半島の奥にある伊根町に行きました。ここは漁船のガレージと住居が一緒になった舟屋群で有名な漁村で、新鮮な魚料理と地酒を堪能したあと波音を枕にしての一夜は忘れがたいものでした。翌日訪れたのが宇良(浦島)神社でした。名前からしておとぎ話的ですね。有難いことに宮司さんから直々に浦島太郎のお話をうかがう事が出来たのです。
「この辺は昔から水之江というところで、神社の前の筒川のほとりに住んでいた浦(宇良)の嶋子という若者が漁に出たところ珍しく亀が引っかかった。その亀はお姫様に変身して常世の国につれていき、めでたく王子夫婦となった。しかし嶋子はふるさとが恋しくなり一人帰郷したところ、かなりの年月が経過していたというのが元々のお話しでした。」ということです。
この物語はなんと雄略天皇の5世紀には成立していて、日本初の国家的歴史書である日本書紀(8世紀)にも記載があるのですから、当時は重大な歴史的事実だと認識されていたのでしょう。そして1600年後の現代までも語り継がれて来たことになります。
途中で、竜宮城は海の底になり、浦の嶋子が浦島太郎に変わり、300年経過して玉手箱を開けると一瞬にして白髪の爺になったりと脚色されていったようです。
桓武天皇の御子である淳和天皇がこの話をひどく気に入られ、小野道風を造営使として建てさせたのがここ宇良神社の始まりだそうです。ちょうど1200年祭にあたり、痛んだ社殿保存のための寄付を募っておられます。
ですから、前を流れる筒川の向こう岸から舟を出したんですよ、と聴くと本当にあったことではないかと思えてしまうのです。
全国には浦島伝説があちこちにあるそうですが、水之江、筒川、宇良、とこれだけ証拠がそろっているのはここだけです。実在の浦島太郎を感じていただくために、宇良(浦島)神社をぜひ訪れられることをお薦めします。
ところで常世の国ってどこでしょう。海の底でないとすれば、朝鮮半島ではないかというのが私の想像です。面白い朝鮮の歴史書があります。「三国遺事」というものですが、新羅建国にまつわる話の中で、第二代新羅王は倭人だというのです。そのひとは昔脱解(セキダッカイ)といい「多波那国」出身の王子だというのです。瓢公という倭人がやってきて王子を補佐したのち国に帰っていったという記事があるのです。「多波那国」を「タンバノクニ」と読めないでしょうか。この辺の事情を日本書紀は暗示しているのかもしれないというのが私の持論です。そうすると国家的歴史書に掲載される意味が理解できます。
宇良=ウラについても一言。ウラ、ユラ、ユヤ、ニ、ニユという言葉は製鉄と深い関係があります。たとえば桃太郎に殲滅された鬼の名は「ウラ」で墓は鉄の釜で封印されました。
中国の史書「魏志倭人伝」の中で、朝鮮半島の南部で倭人も競って鉄を求めているという一文があります。鉄文化は朝鮮から北九州、日本海沿岸、丹後半島、若狭湾から近畿に入っていった歴史の流れがあります。そうすると浦島の周辺の人々は、鉄の技術を持った集団だったということになります。
丹後半島周辺には由良町、由良川、宇良神社があり、播磨に抜ける道々で金属を祀る神社が点在するそうです。うれしい事には天橋立の傍には今も「日本冶金工業」が煙突から煙を吐いています。ウラシマの子孫がいるのでしょうか。
実はこの鉄技術集団は北九州からの集団移住であったと思います。このことについては別の記事に譲りたいと思います。古代の歴史が現代人の心に生きている喜びを確認出来た楽しい旅でした。