JR西日本・北陸新幹線早く来て! 小浜のお初より

寺岡内科医院 寺岡院長202107金沢は良い街です。街に賑わいがあり歴史と文化があり、何より人々の誇りがあります。
さすが加賀百万石の風格があります。この街が大好きです。もう何年か経ちましたが、金沢~東京間の新幹線が開通し、東京へ2時間半で結ばれたという所で複雑さを感じたものです。
対し大阪へは在来線の特急で3時間弱、金沢は関東圏に取られたのかという嫉妬に似た感情は関西人特有かもしれません。

ご存知のように加賀藩の祖、前田利家は豊臣秀吉が最も信頼を置いていた親友であり部下でもありました。あの時代ではまれに見る友情物語でした。利家は文化にも造詣が深く、京風文化をそのまま加賀に取り入れました。この街のみやびさは一重に利家のおかげといえます。従って加賀の文化は関西風です。当医院の職員の北出さんは富山県の出身で、地元の関心は関東関西に50%ずつ向いているということで、彼女はたまたま勤め先の金沢から関西に嫁いできたお一人です。そんな土地柄のところへ新しい文化の伝達者である新幹線が東京からやってきたのですから、東京に取られたのかと一抹の寂しさを覚えるのです。

実はこの感情、落城寸前の淀君、秀頼の悲哀をなぞっているのかも知れません。羽柴筑前守といえば誰知らぬ人のない豊臣秀吉ですが、彼が豊臣姓を朝廷から賜ったとき、それまでの羽柴筑前守の大名跡を与えたのは他ならぬ前田利家だったのです。彼は秀吉の遺児秀頼の養育役として、徳川家康の動きを牽制し続けたのでした。しかし彼が亡くなってからは、遠慮する者とてない家康は公然と勢力拡張を続けたというところまではご存知でしょう。次々と家康の軍門に降ってゆく恩顧の大名たちを見るにつけ、淀君の胸中はどれほどであったかと察します。このあと関が原の戦いへと進んでゆくことになりますが、豊臣方も味方を集めるためいろんな工作をします。その一つが「羽柴筑前守」姓を利家の息子である前田利長に与えるというものでした。しかし情勢は変わっていました。利長は、そのような大名跡を継ぐ資格はないという口実で丁寧に断ったのです。その知らせを受け取ったときの淀君の悲嘆はどれほどであったでしょう。淀君(お茶々)には心を許した二人の妹がいました。末の妹は二代将軍徳川秀忠に嫁いだお江として有名ですね。上の妹はあまり有名ではありませんが京極高次に嫁いだお初という女性です。落城寸前まで大坂城の淀君と江戸の家康の仲を取り持とうと懸命の努力をした人でした。結局努力は実らず豊臣家は滅びましたが、京極家は徳川に付いたので若狭の小浜に領地を与えられることになったのです。ここにお初の菩提寺・常高寺があります。

先日、小浜へドライブしました。約2時間半の行程です。意外といっては失礼ですが中々良いのです。海の幸、山の幸に富み、昔の北前船の重要な寄港地で、有名な「さば街道」の起点でもあります。若狭のさばを塩漬けにして京都まで担いでゆくとちょうどよいさば寿司になったそうで、「京は遠ても十八里」に京への愛着を感じます。船で山陰、瀬戸内海廻りで大坂に至ることを思えば、陸路の京、大坂は近く感じられたことでしょう。古い京風の町家はまるで京都の先斗町のようで、置屋、料亭が並び北前船のにぎわいを今に伝えています。外れの高台に地元の人が愛するお初の菩提寺があるのです。そんな小浜を北陸新幹線が通ることが決まっています。

北陸新幹線というとJR西日本なんですね。なんと今でも金沢~糸魚川間の路線はJR西日本の切符なのです。金沢から敦賀までは半分以上完成しています。金沢~敦賀~小浜~京都~大阪と繋がれば、待ちに待った北陸新幹線の完成です。これで江戸のお江、小浜のお初、大坂のお茶々(淀君)が新幹線で繋がることになります。お初の喜ぶ顔が浮かぶようです。それに金沢のおまつ、京都のおねねが加われば、それこそ戦国時代を代表する女性たちが集うことになります。彼女らの語らいを早く聴きたいと心待ちにしています。