「かたじけなさに、涙こぼるる」 令和元年五月
令和の時代が始まりました。グローバル化、地球環境の変化を迎えて否応なく変革が求められることになりそうですが、新しい時代の門出に向けて日本人のこころの原点を確かめてみたいと思います。
平成の最後、天皇皇后両陛下がご退位の報告に伊勢神宮に参拝されました。正式には「神宮」ですが、分かりやすく伊勢神宮とも呼称されます。皇室のご先祖を祭る神宮として全国の神社なかでも別格の存在だということは日本人は知っています。時代を区切るにふさわしい歴史的な参拝でした。
神宮の歴史をたどりますと、古代「神宮」は奈良の三輪山のふもとに鎮座されていたそうですが、第10代崇神天皇(紀元前1世紀)が宮中から外へ出され、あちこちを転々としたあと聖地伊勢に落ち着かれたとされています。これが内宮です。皇室のご先祖の天照大神(アマテラスオオミカミ)をお祭りします。雄略天皇(5世紀)の時代に「一人でいるのがさびしい。」といわれたので、台所をつかさどる女性の神様「豊受大神(トヨウカノオオミカミ)」が丹後から呼び寄せられました。これが外宮です。ご出身は天橋立の籠(この)神社であることがはっきりしています。そこで籠神社は今も元伊勢神社といわれています。お参りの順序として外宮優先という決まりがあり、両宮を参ってはじめてお参りが完結するそうです。
元々大きなお宮ではなかったようですが、8世紀に天智天皇の娘で天武天皇の皇后であった持統天皇が藤原不比等の助力で壮大な神宮とされたようです。両天皇系統の争いで乱れた日本を統一したい使命感からのことだったようで、病を圧して参拝された後まもなく亡くなられたそうですから、よほど強い思いがおありだったのでしょう。その後1300年間、国の第一の宮として今日まで全国民の崇敬の念を集めているのです。
皇室がどれほど大切にしてきたかを物語る歴史があります。葵祭りの花形「斉王代」は「斉王」の代りということですが、本物の「斉王」は皇室の未婚の女性から選ばれ、数年間は天照大神に生活の全てを奉仕し解任後も結婚を許されなかったそうです。この伝統が平安時代から鎌倉時代まで660年間も続いたというのですから、どれほど「神宮」が尊ばれてきたかが分かります。
神社の本体は弥生時代の穀物倉庫の形であり、藁屋根の掘っ立て小屋を大きくしたものといえます。南太平洋の建物と数々の共通点が見られます。20年毎の式年遷宮で新しく立て替えられ、創建当時の技術を伝えている伝統は世界的にみても非常に貴重で、日本人の誇りですね。内部には鏡と祭壇があるだけというきわめて質素な造りで、日本人の心象を表現している空間だといえます。五穀豊穣、国家安寧をかなえる神様だけがお住まいです。
かつて「神宮」を訪れた西行法師(12世紀)は「何事のおわしますをば知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」と詠いました。神宮の神さびた森とお社のたたずまいに触れると、深い静寂のなかに目に見えない、耳に聞こえない不思議な力を感じるのは我々も同じです。実は3月に家族でお参りしましたが、参道を進むにつれ感じる清浄感、緊張感が肌に染み込んできます。ピーンと張り詰めた空気。大自然とともに生きていることの感謝がふつふつと湧き上がります。日本最大のパワースポットといわれる由縁です。聴くところによると、普通聴くことが出来ない20000ヘルツ以上の高音が出ているのは日本中ここだけだそうですから、肌で感じる何ものかがあるのかもしれません。「かたじけなさに、涙こぼるる」を再び実感したことでした。令和の新しい時代に皆様も日本の心を確認されてはいかがでしょうか。
寺岡内科医院は平成元年に開業し、地域の皆様のおかげで無事に30年を過ごすことができました。
令和への改元を機会に、再び心を引き締めて地域医療に力を尽くしてまいりたいと決意しております。皆様のご厚誼、ご鞭撻を今後とも末永くお願い申し上げます。