…そして80年後、ブルーインパルスの雄姿
先日のブルーインパルスの連隊飛行をご覧になった方が多いと思います。素晴らしかったですね。どうせ見るなら広いところがいいだろうと千里万博記念公園に行きました。周辺道路は大渋滞。後で分かったのですが、大阪中で良い所を求めて大移動が行われていたのだとか。
大阪関西万博は前評判がもうひとつでしたが、ここにきて次第に盛り上がりを見せているのは大阪人としてうれしいことです。あの大屋根リングの出来栄えのすばらしさを実感した人達の口コミで評判が上がっているような気がするのですが、人気をさらに加速してくれたのが今回のブルーインパルスの飛行でした。
予定時刻になりました。枚方方面の雲の中から蒼天に飛び出したジェット機が音もなく水平な白線を描きます。2、3分もすると大阪市上空で方向転換した6機のジェット機は、白煙と轟音とともに我々の頭上を飛び去ってゆきました。大阪府全体を数分で一括りにする規模感に圧倒されたのでした。一糸乱れぬ連隊飛行にはどれほどの技術と精神力が隠されているのでしょうか。急上昇と急降下の時には何倍もの体重がかかり、後はくたくたになるという話を聞いたことがあります。重大使命を果たされた5人の操縦士の方々の奮闘に称賛を送ります。メンバーの一人が吹田市出身の松浦一等空尉だと聴いて喜びもひとしおです。
この光景はどこかでみたような気がします。不謹慎といわれるかもしれないのですが、「神風特別攻撃隊」です。それは80年前の鹿児島に戻ります。ちぎれんばかりに手を振る地上の人々に送られて開聞岳の先の青空を目指します。翼を上下に揺らしてこの世に別れを告げます。それは美しい編隊飛行だったかもしれません、ブルーインパルスのように。しかしその時が来ます。敵艦をめがけて急降下。対空射撃が雨あられと浴びせられます。やがて被弾したゼロ戦は黒煙を吐きながら敵艦に突入します。特攻隊員の死の瞬間です。敵艦を目前にしながら撃墜された戦闘機には「思いを遂げさせてあげたかった」と危険な思いを抱いてしまう自分がいます。
わたしは彼らの尊い犠牲のおかげで今日の日本の繁栄があると思っています。その延長上に大阪関西万博があり、ブルーインパルスの雄姿があるのだと思います。操縦士は昔も今も勇敢な若武者であることは変わりませんが、80年後にはこうして展示飛行を喜べる平和な時代があることを心から有難いと思います。
ところで靖国神社にお参りされたことがおありでしょうか。知覧の特攻記念館をたずねられたことがおありでしょうか。日本人としてマストの聖地です。そこには彼らの特攻前日の遺書が展示されています。彼らは前途洋々の若者でした。戦争への恨みを言わず、育ててくれた両親への感謝、親孝行できなかったことのお詫び、この国に生まれたことへの感謝、国を守るために晴れ晴れと飛び立つ、という言葉であふれています。一つ一つが必死の思いでつづられたことを忘れてはなりません。彼らが守りたかった日本の姿とは、家族の安寧、日本の独立、伝統的価値観、つまり礼儀、清潔、正直、他人への思いやりなど、今日世界から称賛されている日本文化そのものであったに違いありません。
youtubeで100年前の日本人の姿を白黒写真からカラー動画にAIが編集したページがあります。白黒の無表情な美人がカラー動画になってにっこりと笑うとドキッとします。生き返るのです。
そんな中で特攻隊員を甦らせた企画があります。みんなきりりとしたイケメンばかりで、決死の表情がみなぎっています。しかし動画では前夜に泣き明かしたはずの隊員の表情がほぐれ、にっこりと笑って甦ります。そして散っていったのです。それを見て声を上げて泣きました、書いている今も涙が滲みます。私たちの先輩がどれほどの思いで国を守ろうとしたのか理解していただきたい。ぜひ今の若者にも見ていただきたい。あなた方にも日本人の血が流れているのです。
特攻の若者たちの死は残念ながら勝利には結びつきませんでしたが、彼らの犠牲は胸に深く刻まれる国民的記憶となっていて、日本人はやるときには命懸けでやるという自信にもつながっているのです。そう思うと彼らの犠牲は決して無駄死にではなく、日本の大きな宝として今も脈々と生きているのです。今に生きる我々は「神風特別攻撃隊」の遺産を後世に受け継いでいかなければなりません。
たくさんの人たちが編隊飛行の一点を同時に見て感激したことは、歴史に残る大イべントでした。もうすぐお盆がやってきます。彼らのことをもう一度思い浮かべようではありませんか。ブルーインパルスが良かった良かっただけで済ませてはもったいないと思うのです。