伊勢「伊雑宮(イザワの宮)」で古代に触れた。

寺岡内科医院 院長の元気塾202207一生に一度は「お伊勢参り」というのが江戸時代の庶民のあこがれでした。わざわざ「お」をつけるところにも特別の思いがあります。古くは「神宮」といえば伊勢神宮のことで、皇室の祖先である天照大神(アマテラスオオミカミ)をお祭りする日本第一のお社であることは異論がありません。

今日の外宮、内宮に参拝しますと壮大さ、美しさに圧倒されてしまうのですが、江戸時代までの「神宮」は私達が今見る建物とはかなり異なっていたようです。江戸末期にここを訪れた外国人の述懐では「…みにくい社」とあって、今日の荘厳さはうかがえません。現在の建物を目の前にして、いくら感性のない外国人でも「みにくい」とはいわないでしょう。また古い文献によると新しいお宮を「六時=12時間」で建て終えたともあります。これらから想像されるのは、昔はもっと簡素で素朴な建物であったろうということです。

皇室の祖先とされているにも関わらず、代々の天皇でここにお参りされたのは、持統女帝以来、明治天皇までありませんでした。平安時代から江戸時代に至るまで歴代皇室が篤く崇敬したのは下賀茂神社、熊野大社の方で、数え切れないほどの行幸がありました。お参りはなかった代わりに、天皇家の未婚の女性を「斉王」という名目で歴代仕えさせたという長い歴史があります。いまでも葵祭での花形といえば「斉王代」です。京都中の若い女性の憧れの的ですが、後世「斉王」の代わりを務めた女性ということになります。いろいろな事がらを考慮すると、歴代皇室は畏敬の念を持って皇室女性を嫁がせたという印象が拭えません。天照大神は本当に女性なのでしょうか。天照大神はこんなこともいわれました。「一人で寂しいから女神を連れてきて欲しい」。そこで連れてこられたのが天橋立の籠(この)神社(元伊勢神社)の女神「豊受大神=トヨウカノオオミカミ」で、食事のお世話をするために外宮に鎮座されています。普通ならご夫婦なんだろうと思ってしまいます。ちなみに「豊受大神」は東三国の鎌田神社のご祭神でもあります。

世界中の歴史を見ると太陽は男性、月は女性です。アマテラスはアマ(宇宙)をテラス(照らす)のですから、太陽神であり男性ではないでしょうか。女性の豊受大神を招いたことも、歴代皇室が「斉王」を仕えさせたことも、アマテラスは男性とした方が納得ゆきます。

伊勢の地は古くから聖地とされていたようですが、8世紀に天智天皇の娘で天武天皇の皇后でもあった持統天皇が、信任厚い藤原不比等に命じて立派な「神宮」を建立させました。天智、天武両皇統の争い(壬申の乱)で乱れた国を統一するという強い使命感がおありだったようで、重病を冒して参拝された後すぐに亡くなられたそうですから、よほど強い動機があったと思われます。そこには、か弱い女性天皇を神格化するために、アマテラスを女性に置き替えようとした藤原不比等の意図があったのではないでしょうか。日本書紀を発議したのは天武天皇でしたが、後に完成させたのは全権を掌握していた藤原不比等ですから、改ざんは可能であったはずです。…それでは本来のアマテラスは誰でなのでしょう?

ヒントは神宮参道の前に鎮座する、猿田彦神社でしょうか。大変立派な神社で多くの人の信仰を集めています。「神宮」にお参りするときは、いつもここの駐車場を使わせていただきます。ここは比較的新しく、明治になって建てられましたが、いきさつは少し複雑です。代々「神宮」で神官をしていた家が、明治の改革でやむなく独立して信ずる神様をお祭りしたのだといいます。このサルタヒコ、天を衝く大男でピカピカ光っていたと日本書紀に出ています。イザナギ命を地上に導いたあと伊勢に帰って行ったとも書かれています。ですからアマテラスはこの神様ではないかという話もうなづけます。夫婦岩の興玉神社の祭神も猿田彦です。

先日、伊勢地方を尋ねました。土地の心ある人からパワースポット「伊雑宮(イザワの宮)」を薦められました。ここは内宮の「本当の神様」がおられるとのことです。内宮を簡素化したようなお宮で、南洋の薄暗いジャングルに潜む藁葺き小屋を髣髴とさせます。持統天皇もお参りされたそうで、神聖さが漂います。私の中の縄文人の祈りを体感し、心洗われる思いでした。想像以上のパワースポットでした。すぐ近くには「倭姫命」の旧跡があり、ここもお二人のような気がしました。