なんで「般若心経」と「量子力学」が…?

寺岡内科医院 院長の元気塾202307「色即是空、空即是色」と聞くと日本人には何となく分かったような般若心経の中の一節ですね。ここで「色」というのは色彩ではなく、形や現象として目に見えるモノ、「即是」は「is」、「空」は「実体がない状態」という意味で、全体として「見えているモノの本質はすなわち空虚であり、空虚の中からモノが生まれる。」という意味になります。まるで高僧の悟りの境地を聴いているようで、私たち一般人には「何いうてんの?」というのが本当のところでしょう。ところがこの仏教の教えが最近、量子力学という科学の最先端の分野から注目を浴びているから驚きです。ご紹介したいと思います。                

私たちはあるモノを見たとき、「物質は結局分子の集合体であって、その分子は原子で構成されている」というところまでは知っています。例えば「水」は「水分子」の集合体で、「水分子」は水素原子2ツと酸素原子1ツからできているという具合です。近代の物理学では、原子は原子核(陽子と中性子が結合したもの)と周りをまわっている電子で構成されていると中学校で習いました。陽子や中性子はさらに分解されてクォークとなり、さらにこれ以下の小さい単位を「量子」と名づけたのです。結局すべての「物質」は「量子」からできていることになります。いくつもある「量子」ですが、なじみの深いところでは「光子」「電子」もその一部です。この辺になると「粒」なのかどうか怪しくなってくるのです。ここが今回の注目点です。というのは「量子は人が観測しているところでは「粒子」になるが、見ていないところでは「波動(ゆらぎ)」として存在する。」という不可思議な性質を持っていることが共通認識になっているからです。まるで「ダルマさんが転んだ」ゲームのようです。人が見る、見ないで実験結果が変わるなどということは従来の「科学的思考」からするとありえないことです。一部の学派は、世の中のすべての物体は人から見られることによって存在するのであって、人から見られていないと波動として存在すると主張します。「色即是空、空即是色」の世界が広がっているのです。物質の行動と人間の認知力の関わりがまじめに議論される時代となったことに驚いてしまいます。  

「光子」が「粒子」でもあり「波動」でもあるという二面性を証明する実験で、あまりにも有名な「二重スリット(すきま)実験」というのがありますが、その応用で米国ノエティック科学研究所のレイデン博士は250人の人に、「左だけを通れ!」と念じてもらったところ、確かに左を通る光子が圧倒的に多かったことを報告しており、念力が量子の行動を左右することを実証するような結果となったのです。思うに「光子」の波動に人の心の波動が影響したということでしょうか。脳という物質から生まれる「心」っていったい何なのでしょう。量子力学はいよいよオカルトじみてきています。日本語には、「気合」「気を感じる」「霊気」「気色」など、「気」の付く言葉が非常に多いそうで、私たちには心の動きに非常に敏感な国民性があるようです。またモノと心の関わりにも敏感です。例えば、大切なものは下の方に置かない、新札を重用する、大切なモノの名前には「御」を付ける、といった習慣がありますし、魂のこもった作品を尊びます。日本人はモノに心が宿るということが自然のうちに身についているように思えます。なので、心が量子を動かすと聴いても「やっぱり!」という方も多いのではないでしょうか。西洋的な物理学でも、「どうも心がモノを左右するということはありそうだ。」ということになってきました。

心が量子に影響するくらいなら、わけのわからないくらい複雑で精密な「体」や「心」への影響はあって当然です。心の在り方と健康のかかわりの深さを認識するのです。

話は変わりますが、高齢になるとあちこちが痛くなって伝統的な鍼灸整骨院に通われる方も多いです。ここで柔整師の方は「気を通す」とよく言われます。西洋医学的には理解できない話なのですが、実際によく効いているようです。

施術の場合、患者は手の動きに感応されますが、これはまさに「手当」です。手掌から何らかのオーラが出ているようなのですが、それは「波動」と言い換えることができそうです。私たち医療者は「手当」の本質をもう一度勉強しなおす必要がありそうです。大きなことを言うようですが、21世紀は科学と宗教が融合する世紀になるだろうと思っています。いま少しずつ実現しつつあるのではないでしょうか。