いい塩梅

寺岡内科医院 寺岡院長
「梅は咲いたかサクラはまだかいなー」。
ちょうどこれからの春が待ち遠しいこころを表現した歌ですが、今回は梅にちなんだ難しい(?)お話をします。

「ちょうど良い」という意味の「いい塩梅(あんばい)」が平安時代から使われ続けています。塩と梅酢で味を調えたところから生まれた言葉のようです。料理には不可欠な塩(=NaCl)と血圧のお話です。

3億年前、ハゼに似た魚の一部が陸上に這い上がって来ました。
その当時の名残を留めたのがオタマジャクシやイモリのような両生類という生き物です。さらに何億年もかけて両生類から爬虫類、さらには鳥類、哺乳類へと進化を遂げたのはご存知のとおりです。でも陸に上がっても体内に水を留めておかないと生きていけないのが動物の宿命です。水の少ない陸上でどうして水を保持するのか、その答えがナトリウム(Na)でした。ナトリウムは水分と非常に相性がよくて常に分子の周りに水を呼び込む性質があります。ナトリウムさえ貯えておけば水は保存できるというわけです。

またナトリウムは生命活動に欠かせないミネラルでもあります。陸に上った魚の活動範囲は奥へ奥へと広がります。でも海から離れてもナトリウムを保ち続けるには困難があります。そこで陸に上がった魚がおこなった画期的な発明がレニン・アンギオテンシン・アルドステロン系というホルモンの連鎖です。大まかにいうと血液量が減って血圧が下がると腎臓からレニンというホルモンが出て、アンギオテンシンというホルモンが活性化され、これが副腎からのアルドステロンを放出させ、その結果腎臓からのナトリウムの排出を抑制し、ナトリウムと水分の保持ができるという少々ややこしいシステムです。

とにかくこれにより体内のナトリウムの排出を最小限に抑えることが可能になり、水分と血圧の保持が可能になったとのです。この発明のおかげで魚の子孫はわれわれも含めて全大陸に広がることができるようになりました。とにかく塩が無くては生きてゆけません。

塩=ナトリウムが命の糧だったというのは、つい最近までの歴史にも見ることが出来ます。

ローマ帝国では塩は金と同じくらいの価値があり、兵士には塩で給料を支払ったそうです。SALT(塩)=SALARYだったわけで、これがサラリーマンの語源となりました。
日本では海の上杉謙信が敵である山の武田信玄に「塩を送った」美談は語り継がれていますし、明治政府は税収を上げるために塩の売買を国の独占事業としました。これが専売公社です。

ところが近代になり塩を作ることが容易になり流通が盛んになると塩の価値は下がることになります。味を塩梅するために、ありとあらゆる食品に塩を加える飽食の時代になってしまったのです。

元々人間は塩が嫌いではありませんからNaを抵抗無く受け入れてしまいます。そうすると入ってきたNaは水分を呼び込みますから体中、特に血管に水分が充満することになり、血圧が上昇するという事態を迎えてしまったのが今日です。血圧が高いとどうなるか。長年の圧力に耐えかねて動脈がぼろぼろになったり、心臓が参ってしまったり、結果、脳卒中や心筋梗塞、腎不全という恐ろしい病気を引き起こすことになります。「高血圧治療の第一歩は塩を減らすこと。」というのはこんなところから来ていたのですね。
塩を減らせない人には利尿薬でNaと水を抜いてしまいます。すると血圧が下がりますね。今でこそいろんなメカニズムの降圧薬が出来ましたが、つい40年前までは利尿薬一辺倒だったものです。

逆にいろんな原因で塩分が減り過ぎるとどうなるかといいますと、血液量は減り低血圧となり、ナトリウムという重要なミネラル不足からやる気のなさ、意識混濁、錯乱、痙攣、昏睡、心不全、脳浮腫など恐ろしいことになり、ついには命を失ってしまうことになります。

塩が有り余っている今日という時代は人類史上始めての経験で、体は戸惑っています。現代人は理性を働かせて、塩分を減らした食べ物を摂らないといけない時代となったといえましょう。
これを「いい塩梅」というのです。