初詣はどこにお参りされますか?

寺岡内科医院 寺岡院長202201お正月といえば初詣。大阪で初詣といえばまずは住吉さんでしょう。そこで住吉大社の歴史についてお話してみたいと思います。

ここは全国で2200もあるという住吉神社の総本社で、海運、稲作、相撲、弓の神様として有名です。昔風にいうと、攝津の国の一ノ宮、正一位官幣大社と最高の格式であり、間違いなく日本で第一級の神社なのです。ここには住吉大神(三神)、神功皇后が祭られています。昔はすぐ前が浜辺だったそうで、4つの社殿が立ち並ぶさまは船団を思わせます。

神功皇后といえば4世紀末の人で、丹波の国から博多に移動し朝鮮にわたり三韓を服属させ、博多で応神天皇を生み、その胎盤を入れた箱をご神体として箱崎神宮に埋めたなど、具体的な事績が多いので実在の人物と思われます。朝鮮の歴史書にも倭国が攻めてきたという記事が多数あることから、古代から両国には深い関わりがあったことは間違いのないことです。神功皇后はここから忠臣武内宿禰と幼い応神天皇を率いて瀬戸内海を攻め上り、河内王朝を打ち建てとされています。応神天皇は仁徳天皇(難波高津宮)の父君に当たりますので、大阪の人にとってもなじみ深い天皇といえます。

大阪の住吉大社が第一番目かというとそうでもないようです。というのは博多には筑前の国一ノ宮である住吉神社があり、住吉の神が三韓征伐のご託宣を授けたとされていますから、ここが第一番ということになります。応神天皇が瀬戸内海を攻め上るに連れて下関の住吉神社、大阪の住吉神社と形成されてゆきます。三大住吉神社のいわれです。

ここ博多湾には古代からアズミ族が住み着き「ワタ(海)つミ(神)」を祭っていました。
有名な「漢倭奴国王」の金印は博多湾の志賀島で発見され、今でも博多湾は「那(ナ)の海」といわれる位ですから、魏志倭人伝の「奴(ナ)の国」は間違いなくここでしょう。奴の国の人たちは朝鮮と倭国、日本海を自由に交易していた人たちで、後に全国津々浦々に住吉神社を置きながら活動範囲、居住範囲を広げ、内陸にも広がってゆきます。渥美半島、安曇川、熱海、安曇野などがその名残です。東(アズマ)もそうかもしれません。東京の佃島にも住吉神社があります。アズミ族がたどり着いた一大拠点が大阪の住吉大社ということになります。

アズミ族に支えられて近畿に入った応神天皇といえば、長い皇室の歴史の中でも別格の天皇で、羽曳野市にある御陵は世界最大級の規模です。近くで見ると堀と大きな山にしか見えません。

八幡大菩薩の生まれ変わりということで武家の守り神として深く信仰され、現在も八幡神社が全国に8万社もあるという事実は、応神天皇の影響力がどれほど大きかったかという証です。このように数ある八幡神でも一番有名なのは京都の石清水八幡宮でしょう。徳川、足利、源の武家の棟梁から崇敬されています。源頼朝は鎌倉幕府の鎮守として石清水八幡宮から神様を勧請して鶴が岡八幡宮を築いています。どちらも歴史上大変有名ですが、八幡神社の総元宮はなんと大分県の宇佐神宮なのです。今でこそあまり目立った存在ではありませんが、ご祭神は応神天皇、神功皇后、(謎の)姫大神です。この女神、邪馬台国の女王卑弥呼のことではないかという説があるくらいの由緒正しい神宮なのです。ここから応神天皇は東征に発ったとされています。ここには立派な宮内庁分署が置かれていて特別感を漂わせています。

このようにアズミ族が東に東に勢力を広げる過程では、住吉大神、八幡神、神功皇后、応神天皇、武内宿禰は切っても切れない関係がありますし、天皇家の誕生とも深い関係がありそうに思えます。

初詣にはそれぞれのご家庭で決まった神社がおありだと思いますが、神社は歴史上の化石といわれています。神様の行動は神話の世界の話だと思われがちですが、最近では歴史上の出来事を背景にしていると考えられるようになりました。日本にはそんな古い神社がいたるところに活き活きと存在し続けていることは本当に有難いことです。新年の初めに、心新たにご先祖達の旅に心を馳せながら、お参りされるのもよろしいのではないでしょうか。